グーグル創業者の二人、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン
二人はどちらもモンテッソーリ教育を受けています。
2004年にABCテレビのバーバラ・ウォルターズの特集番組(The 10 Most Fascinating People of 2004)で、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは
二人ともに親が大学教授であったことは二人の成功の重要な要因だったか、
と尋ねられました。
それに対する二人の答えは「関係ない」というもの。
そして、
「モンテッソーリ教育を受けたことこそが鍵だ」と答えました。
二人は特に、
セルフ・ディレクティドな学習(自律的な学習)、すなわち、自分の興味に従って、自分の学びたいことを決めることが重要だったと指摘しました。
ペイジは、
「ルールに従うのではなく、自らの動機に従い、世界に何が起きているのかを疑問に思い、物事を異なるやり方でやる訓練になったと思う」
と語りました。(このときの番組は、YouTubeでも見ることができます。)
また、経済雑誌フォーブスは、
グーグルの成功は、ペイジとブリンの素晴らしいビジョンによるものではなく、新しいビジネスモデルを閉じ込めない小さな成功を積み重ねたことによる、
と指摘しました。
そして、彼らが「工夫し続ける」ようになったのはモンテッソーリ教育の功績であるとしたのです。モンテッソーリ教育を通して、二人が、生涯を通して、学ぶことへの愛を持った学習者となったことが、彼らの成功と共鳴したのだと評しています。
ステーブン・レヴィの「グーグル ネット覇者の真実」によると、
グーグルの20人目の社員であり、グーグル躍進の立役者といわれたマリッサ・メイヤー(その後、ヤフーCEO)は、2005年に、グーグルとモンテッソーリ教育の関係について述べたそうです。
当時、検索以外の分野に次々と進出しようとするグーグルに対し、「飲んだくれの曲芸師のようだ」という批判がありました。
「空中に複数のボールを投げたのはいいが、それをまったくコントロールできていない」というのです。
マリッサは、こうした批判に対してグーグルの社風を説明し、最後に以下のように言いました。
「ラリーとセルゲイが、二人とも幼少時代にモンテッソーリ教育を受けたことを知らなければ、グーグルは理解できません」
彼女は続けて言います。
「彼らは自分で考えた質問への答えを求め、自分で決めたように行動する。何かをするときに偉い人に言われたからではなく、道理にかなっているからそうする習慣を身に付けたのです」
セルゲイ・ブリン本人も
「私はモンテッソーリ教育の恩恵を受けたと思っています。」と語り、
セルゲイ・ブリンの母親ユージニアも
「モンテッソーリ教育については詳しく知らなかったが、結局、彼の成長に重要な役割を果たすことになった。自分の頭で考えること、人生では何事も自分でやってみることの大切さを知るきっかけになった」と2009年に語っています。
先ほどのマリッサ・メイヤーが
「ラリーとセルゲイは、いつも『どうしてそうじゃなきゃいけないんだ?』と尋ねる。早い時期から彼らの脳にプログラミングされた行動パターンなんです。」
と語ると
ペイジは
「それはある面で真実かもしれない。」
「僕はいつも質問をしてばかりだからね。モンテッソーリ教育はセルゲイと僕の共通点だ」と答えています。
(以上「グーグル ネット時代の覇者の真実」より抜粋)
この「グーグル ネット時代の覇者の真実」を書いたステーブン・レヴィは、ペイジとブリンは、まるで「モンテッソーリの教えを、そのままグーグルに持ち込んだようにさえ思えた。」と書いています。二人は、規律は自由な環境で取得されなければならない、として、エンジニアにできる限り自由な環境を与えました。
有名なことですが、グーグルには20%ルールというものがありました。エンジニアは、勤務時間の20%を、本来の自分の業務を離れた好きなプロジェクトに使ってよいというものであり、Gmailなどもそこから誕生したそうです。(グーグルの巨大化に伴い、現在は変化しているという話もあります。)
このように、モンテッソーリ教育がペイジとブリンに与えた影響は、二人のイノベーターとしての資質にとどまらず、グーグルの企業文化そのものにまで及ぶものだったようです。
ラリー・ペイジの父親は、ミシガン州立大学でコンピュータサイエンスを教えており、母親も同じようにプログラミングを教えていたそうです。ペイジは、1968年に開校されたミシガン州オーケモスにあるモンテッソーリ・ラドムーア・スクールMontessori Radmoor School出身です。
セルゲイ・ブリンの父親はユダヤ系であったために、当時のソビエト政府から物理系の学問を禁止され、数学を専攻、働きながら学び続け、博士号を取得しました。しかし、ユダヤ系の差別が息子の将来にも悪影響を与えることを危惧した父親は、ロシアからアメリカに移住することを決意し、ユダヤ人コミュニティの協力でメリーランド居住、メリーランド大学で教えるようになりました。ブリンは、当初はユダヤ系の他の子ども同様、ユダヤ人学校に通ったそうですが、言葉の問題もあっていじめられたそうです。それで、アデルファイのペイントブランチ・モンテッソーリスクールPaint Branch Montessori School(現在は、シルバースプリングに移転しています)に通いました。ブリンは、ほとんどの時間をパズル、地図、数に費やしたと言われています。「僕は自分のペースで成長できた」と彼も述べています。なお、そこではいじめもなかったとのことです。